2008/11/14(金) 17:00
落ち込んだり、暗い気分になったり、マイナス思考から抜け出せなかったり。
心が闇に呑まれそうになったり。
だから、温かい言葉が欲しくなる。
気分が晴れるような、光が欲しくなる。
光のあるところへ行こうとする。
それらは、自然な事だと思う。
ただ、光を求めすぎると、逆効果になる。
心が闇に囚われた時、不安で怖くて仕方がないのは、なぜだろう。
それは、真っ暗で何も見えないからではないだろうか。
暗くて何も見えない。
自分の姿も見えない。
自分がどこにいるのかも解らない。
どっちを向いているのかも解らない。
そうして自分を見失う。
完全に音を消し去る消音室に放り込まれると、ほとんどの人は静寂に耐えられなくなる。
音で感じていたこの世界の様々なモノを感じとれなくなり、周囲の音によって自覚させられていた自分自身を感じられなくなり、自分の存在までも解らなくなる。
これとは逆に、騒音の真ん中にいても、人は耐えられなくなる。
大きな音から受ける、単純な苦痛だけではない。
騒音に囲まれて聴覚による認識が一切出来なくなると、他を感じることで認識していた自分という存在を見失う。
心が闇に囚われそうな時、光ある文言を渇望するのは、自然なことでもあり仕方のないことでもある。
ただ、光を渇望し過ぎると、やはり存在が消されてしまう。
全方位から強い光を受けると、影が消えてしまう。
影がなくなると、真っ暗闇に入り込んだときと同様に、方向感覚を失ってしまう。例え自分の姿が見えていたとしても、影が無ければ、自分がどこに立っているのか、どっちを向いているのか、立っているのかどうかすら解らなくなる。
人は、影があることで、自分を認識する。
人は、影があることで、自分の存在が幻や虚像ではないと自覚できる。
だから、光を求めすぎると、影が薄くなっていき、自分の存在を危うくしてしまう。
関連タグ: うつ病
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